目がガビガビでも語りたくなったらとまらない

こんな時間なのに、

もう既に、ドライアイで目がガビガビなのにネットしてる自分。

月曜からお疲れモードになってしまう。

でも気合いで、乗り切ります。

眠くなっても、炭酸水があれば大丈夫だから、笑。

 

今日は、朝からアンディーウォーホールの番組見たり、

京都にチェコのポスター展見に行ったり、充実した一日でした。

思う事。

『何かに対しての解釈って、多種多様に如何様にも出来てしまうからオクブカイ。』

アンディーウォーホールの番組見てて、改めてそう思いました。

ウォーホルの有名な作品に、キャンベルスープの缶をシルクスクリーンで描いた

ものがあり、

「あるものをそのまま描く事がアートとして認められるか」という事が、

発表された当時は論争になったらしい。

この作品は、キャンベルスープを作っている会社の封筒に描かれていたモチーフを、

何と、丸写しで使用したものらしい。

裁判好きのアメリカで、商標問題に引っかからなかったの?と不思議なとこやけど。

ウォーホールは、それに対し「なぜ、オリジナルでなきゃいけないのか。」

と語っていたようです。

ありふれた物、一定のイメージがついている物を、

額に入れて作品として発表する事で、見る側に今までと違う解釈を

与える行為。

今でいう、アートディレクターみたいな仕事の仕方やったんかな。

同じモチーフを使用しながらも、色を変える事で印象が変わる点は

新しい発見に気づかせてくれます。

色彩感覚の素晴らしさは、ウォーホール人気の一つの要素。

私も、そこにはとても惹かれるけれど、最も彼に惹かれる要素としては、

商業的に成功してアートを大衆に広めたところです。

彼は、アーティストになる以前は、ファッション誌などで引っ張りだこの

イラストレーターでした。

商業デザイナーとして培った、クライアントの意向を上手く汲みこむ能力が、

アーティストに転身してからも大きく役立った点だと思います。

 

時代の流れに乗り、認められて、成功する事が第一。

 

彼は自分のお墓には、何も書かないで欲しいと言い、

もし何か書くとすれば、『全部うそ』と書いて欲しいと言ったようです。

商業的に、スピード感を持って、大量生産するような物つくり。

彼の奥深くにある『何か』を、見つめて一から生み出す作品ではなく、

『時代に認められるか』を、重視していた作品だから、そんな言葉が出たのかと

勝手に想像してしまいました。

あるものを、そのまま描く事がアートなのか。

物の価値は誰が決めるのか。

オリジナル=自分とは。

 

ウォーホール自身、常に考えあぐねていたんじゃないかな。

 

チェコのポスター展でも、社会主義という枠の中で、

認められる作品もあれば、NOを突きつけられる作品があったりと、

時代や、国や、政治や、人種、、、何だか色んな要素が混ざり合ってててててて、

よく分からなくなってしまいました、笑。

『何かに対しての解釈って、多種多様に如何様にも出来てしまうからオクブカイ。』

この一言で、とりあえず片付けたフリして寝ます。

おやすみなさい!